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田中神社 オカフジ [西牟婁]

和歌山県西牟婁郡上富田町岡 田中神社

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田中神社は、熊野古道沿いにある小さな神社です。

南方熊楠ゆかりの神社で、明治の合祀令の嵐が吹きすさぶ中、熊楠の懸命な活動の結果、

社叢はかろうじて残り、後に複社を果たしました。

 

熊野古道沿いにはあまり見られない、田んぼが広がる開放的な空間に

ぽつんとこぢんまりとした社叢があり、確かに印象的な景色です。

 

オカフジと呼ばれるフジで有名で、これも熊楠ゆかりのフジです。

普通のフジより花序が短く、白と濃い紫のコントラストが鮮やかなフジです。

ここにはこれを撮るためにやってきたようなもんなんですが、残念ながらほとんど終わってました(ToT)

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かろうじて残っていたオカフジの花

 

田中神社は大賀ハスでも有名で、休耕田を活用した蓮田が社叢の隣にあります。

7月にヒマがあればまた行こうと思ってます。

 

ところで、社叢の隣に大きな藤棚が組まれていて、オカフジの藤棚でも作るのかなと思ったら、

藤棚の元にはヒョウタンの苗が植えられていました。

秋には大小様々なヒョウタンで楽しめるかもしれませんね。

ここの人は色々考えてるなあ。

オカフジはほとんど終わりでしたが、サツキが満開で水を張った田んぼに映えてキレイでした。

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とかいいながらサツキはほとんど撮らず(^^ゞ
色が派手なので撮るのはちょっと苦手意識持ってます。目でしっかり楽しみました。

田中神社の祭神を調べるんですが、中々ヒットしない・・・

大年神と書いている所もあるんですが、

紀伊続風土記には弁財天と書いているようなので、弁財天なんでしょうね。

田中神社は昔、約6km上流にある八幡神社あたりの森が大洪水でこの神社まで流れてきたらしい・・・

そういえば、有田市宮原にある神社にも似たような話があったなあ。

上流の神社が洪水で流れるたびにある場所に流れ着くのでそこに神社を建てた…とか言う話。

何か関連があるかもしれません。

 

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岩出 県緑花センター [那賀]

和歌山県岩出市 和歌山県植物公園緑花センターにて

子供連れだけど写真も撮りたいよ・・・ってとき、ここに行くことが多いです。

大型遊具が揃っていて、ボール遊びができる広い公園が併設しているので、

子供が遊んでいる間、花を撮ろうというわけです。

もちろんこういう技は相方の理解がないとできないんですがね(^^ゞ

 

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ポピーの大群。

 

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ルピナス。葉っぱがかわいいんすよね。

 

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シャクヤクのつぼみ。咲いたやつもあったけど、すんごい大輪(゜Д゜)
さすが「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」って例えられるだけあります。
でも、シャクヤクは「草」でボタンは「木」なので、感覚的には立てばボタン、座ればシャクヤクに近いと思うんですけどね。
ま、そんなのどうでもいいんですけどね(^^ゞ

 

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花撮り、迷走しまくりですね・・・
オーソドックスなマクロに徹してみたり、でもすぐに飽きて魚眼で狙ってみたり・・・
どこを目指してるんだろう、俺。
まあ、楽しければいいかな?と思うようにしてます。

 


野に咲く花 [有田]

和歌山県有田市山田原から箕島方面を臨む

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今年は例年になく有田川に菜の花が咲き乱れたような気がします。

この写真はもう終わりかけなので淡い黄色ですが、満開の時はそりゃあもう菜の花の川が流れているようでした。

去年は幾度となく水没した川原にめげずに咲く菜の花。そのたくましい生命力に脱帽します。

 

5月になれば、川原には菜の花に代わりノイバラが咲き乱れる。

トゲに覆われた荒々しい姿とは対照的に清楚な白い花が咲き、辺り一面に爽やかな香りが漂う。

 

菜の花の写真を撮るとき、ノイバラに目をやった。

台風にも負けず、元気に芽吹いていた。こりゃ今年の5月も楽しめそうだ。

 

植物達から元気をもらった気がした。

 


地名妄想「近露」 [地名妄想]

地名妄想シリーズ№2「近露」

Attention!
このシリーズはあくまで私の独りよがりの理由によって
地名の由来を妄想するものです。
決してまともにとって素直に信じたりせず、
ああ、こういう考え方もあるのか、ふーん。くらいにとどめていただけたら幸いです。

 

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田辺市旧中辺路町近露 「牛馬童子」 盗難事件に巻き込まれる前の写真です!

 

地名妄想シリーズ№2は有田の2つめの妄想説と思わせといて、別の地名です(^^ゞ

近露(ちかつゆ)は、田辺市旧中辺路町にある地名で、熊野古道中辺路の中でも人気の牛馬童子だとか、とがの木茶屋などと近く、開けた盆地上の土地であるため、熊野古道めぐりの拠点として、はたまた新宮方面へ向かう車の休憩スポットとして賑わいを見せている、そういう所です。

近露の地名由来については、熊野古道関係の書籍等によく掲載されているのが、花山院が牛馬童子に近い箸折峠という所で、食事をとるのに箸がないため、仕方なくそこに生えていた萱を折り取って箸の代わりとしたら、萱の赤い部分に露が着いているのを見て、「血か?露か?」といった・・・それからこの地は「ちかつゆか」 ・・・「ちかつゆ」・・・「近露」となった。という話です。

もちろん、これはだじゃれ、言葉遊びのレベルの話で、真実ではないと思うが、割と印象的な話のせいか、和歌山県内の地名由来話の中でもトップクラスに有名な話となっています。

続風土記には、この地の端近に「つい(水を引く堰溝。樋と同義)」があったので、「ちかつい」と呼ばれるようになった。という説が掲載されている。が、僕はこの説は間違っていると思っています。

言葉は時代が下るに従い、大概言いやすい方向へ変遷するものです。

「おかゆさん」→「おかいさん」のように、まず「ちかつゆ」があって「ちかつい」はそのあとに使われるようになったと思ってます。

「近つ飛鳥」「近つ淡海」という言葉があります。「近つ」は「近い方の」の古い言い回しで、僕は「近露」は「近つ”ゆ”」つまり「近い方の”ゆ”」 という意味なんじゃないかと思ってます。

で、その”ゆ”なんですが、近露に温泉でもあれば、都から近い方の”湯”で間違いないと思うんですが、それらしき温泉は見当たらない。(ちかつゆ温泉というのがあり、泉質も良いようだが、これは古来からの温泉ではない。)

ところで、和歌山には「ゆや」「いや」という地名が多い。「ゆかわ」というのも多い。「いや」はおそらく「ゆや」が変化したものだろう。昨年の台風12号で土砂ダムができ、大きな被害を受けた「田辺市(旧大塔村)熊野」も「いや」とか「ゆや」と読みます。

全国に見られる「熊野神社」ですが、これを「ゆやじんじゃ」と読んだりします。熊野は、神々の隠る地、鬱蒼とした森に囲まれた地、奥まった秘境の地・・・と 色々と説はありますが、大体似たような意味となっています。そんな「くまの」と、「ゆや」は一緒の意味を持つ言葉なのではないか?と思うんです。

大体「ゆや」とか「いや」と言う地名を持つ所は山に囲まれた奥まった所が多いです。
(熊野神社があるので「ゆや」という地名になった所も多いですが。)

そして、「ゆかわ」と言う地名を持つ所も山に囲まれた奥まった所が多いです。
(本当に温泉が湧く所もありますが。)

そこから想像するに、「ゆ」と言う言葉に奥まったとか、囲まれたとか、そういう意味があるんじゃないかと思うんです。

近露も、開けてはいますが、四方を山に囲まれた小盆地です。

つまり、「近露」は「近い方の”奥まった所”」なのではないかと思うのです。

いや、もっと言えば「近つ熊野」なのではないかと思うのです。

今は上富田あたりを「口熊野」と言ったりしますが、太古の昔は「近露」が熊野の玄関口だったのではないか?

 

これが僕の妄想説ですが、「近つ”湯”」説も実は捨てきれないでいます。

というのも、熊野の地は大昔活発な火山活動があったと言われ、火山がなくなった現在でも熊野には温泉が多いからです。

近露という地名が生まれた頃には、近露には温泉があったのではないか???という仮説に対して、100%ありえない・・・と断定できないのです。

誰か地質学に詳しい方、近露を調査してくれないかなあ・・・

 

 


地名妄想「有田」 [地名妄想]

地名妄想シリーズ№1「有田」

Attention!
このシリーズはあくまで私の独りよがりの理由によって
地名の由来を妄想するものです。
決してまともにとって素直に信じたりせず、
ああ、こういう考え方もあるのか、ふーん。くらいにとどめていただけたら幸いです。

 

「有田(ありだ)」は、和歌山県中部を流れる有田川流域一帯を指す地名で、郡名になっています。

この「有田」はその昔「安諦(あで)」と呼ばれていました。

ところが、平城天皇の名である「安殿」に似ているので「ありだ(当時は在田と書くことが多かった)」に変えられたそうだ。

 

安諦も含めて、有田という地名の由来に、「荒れた川」からきたという説をよく見るが、これは間違いだと思っている。

仮にそうだとしたら、近隣の紀の川市旧桃山町の地名「安楽川(あらかわ)」のように地名に川がついていないとおかしい。

「ここの土地は川がよく氾濫するから、荒れた川、「あれかわ」、略して「あれ」にしよう・・・・」この流れおかしいですよね。

地名なら「あれかわ」とか「あらかわ」ってつけますよね。で、文献には「安諦川」という地名は出てこない。

ここはやはり「あで」という地名が先にあって、川の名も「あでかわ」と呼ばれたが、

平城天皇の名前とかぶって以来、別の地名「ありだ」を代わりに郡の名前にし、川の名前も「ありだがわ」となった。

これが自然な流れだと思いますが、どうでしょう?

 

その「安諦」の由来ですが、日本書紀持統天皇3年に「紀伊国阿提郡」と出てくるので、

飛鳥時代にはすでに「あで」という地名があったと言うことです。

平安中期の和名抄に出てくる在田郡5郷(すでに"あで"から"ありだ"に変わっている)

のうちに、英多郷(あがたのごう・あたのごう)があるが、これが「ありだ」 「あで」の元となる地名かもしれない。

 

で、万葉集に「足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還来万代(足代過ぎて糸鹿の山の桜花 散らずあらなむ帰りくるまで)」

という歌があり、「糸鹿」は有田市糸我町とすると、「足代(あて)」の地は、

糸我から少しこの万葉歌の作者の家に近い方にある地名と言えます。

普通に考えると、作者の家がどこであろうと、熊野古道を南下し、

熊野三山等紀伊半島の南部に向かっていたと考えるのが自然だと思います。

なにより、これが逆だとすると足代の地は、湯浅町吉川あたりと言うことになるのですが、

この辺は有田川いや、足代川(あてがわ)を感じることのない土地なので、吉川=足代は考えにくい。

東西方向というのも、西側があまりに海に近いため、桜よ散らないでおくれ・・・という言葉に違和感を覚える。

東側へ向かったとすると、作者の家と糸我の地があまりに近く、糸我の桜を見てわざわざ歌をよむかという疑問が生じるし、

西側へ向かったとすると、ゴール地点があまりに近く、割と楽に桜が散る前に帰れそうであるし、

ここはやはり、足代の地は、現在の有田市宮原町あたりと見なすのが正解でしょう。

そうなると、前述の「英多郷」も宮原町周辺ではないかと思ってます。

 

あて=宮原町として、何故、”あて”と呼ばれるようになったか。ですが、

熊野古道がメインストリートだった頃は有田郡の玄関だった宮原の地に

初めてたどり着いた人はおそらく、こぢんまりとした印象を持ったことでしょう。

着いてすぐに川が横切っており、そして川の先に山が目前に迫っている。

近隣の名草郡だとか、日高郡よりも明らかにこぢんまりとしている。

昔は行政の区割りは、大きい順に 国>郡>県 という順番だったから、

小さい郡、つまり、県郡(あがたぐん)と暫定的に呼ばれるようになり、

その玄関口である宮原が「英多郷(あがたのごう)」と呼ばれるようになったのではないか?と思うのです。

あがたのごうが「英多郷」と書かれるようになり、「あた」と呼ばれ、更には「あて」、「あで」と変遷していったのではないか?

そう、「奥」を「おき」と読むように、「辻堂」を「ついど」と読むように。

英多郷から、様々な読み方が派生していき、最終「あで」で落ち着いたのだが、

平城天皇の件で地名変更を迫られたとき、派生した英多郷の読み方の中から「ありだ」が選ばれたのではないか?

 

これが、私の「有田」の地名由来の妄想説1です。

 

・・・って、妄想説2もあるんかいっ!

 

 


桜2012 in 和歌山城 [和歌山市・海草]

桜の写真撮りまくったので、アップしまくります[わーい(嬉しい顔)]

和歌山県和歌山市 和歌山城の桜です↓

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請川~万歳峠 [熊野古道]

和歌山県田辺市(旧東牟婁郡本宮町)請川から山道に入り、

万歳(ばんぜ)峠へ向かう道。

この道は那智からの帰り道である小雲取越、伊勢路、本宮から速玉大社へ向かう川丈街道の共通の道、

言わば阪急梅田-十三間みたいな所だ。

往年はきっと人の往来が激しかったに違いない。

 

でも、熊野古道おすすめコースみたいなのにはまず出てこないマイナーな道であるのに加え、

折からの台風12号の影響もおそらくあるのだろう。

 

誰ともすれ違わない・・・

 

請川~志古間約10kmで、すれ違った人は、

熊野古道を歩いている人2組、地元の方2人・・・

これではいくら何でも寂しすぎるよ[もうやだ~(悲しい顔)]

2月の熊野古道はまだまだ寒いが、歩くと暑くなってくるので、

冬に歩く方が好都合なんですよね。

しかも、確実に春の足音を感じることができるんだ。

2月の熊野古道は、まずは、ただただ、シダの青さ。

そのスケールに圧倒されるほど茂る。

そしてキンポウゲ科系の可憐な小さい花(たぶん節分草とか)

をよーく目をこらせば見ることができる。

とにかく、春も秋もオススメなのだが、ぜひ冬も熊野古道を歩いてほしいのである。

そして何より・・・

 

ボクの嫌いな蜘蛛ちゃんがいない[あせあせ(飛び散る汗)]

 

春の訪れをいち早く感じたい方、蜘蛛が嫌いな方は

今のうちに熊野古道をぜひ歩いてください!!!

 

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シダ生い茂る熊野古道

 

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キンポウゲ科系のお花

 


お燈まつり2012 [東牟婁]

お燈まつり今年も行って参りました[exclamation×2]

お燈まつり知らない人はこちらへ

 

しかし、今年はあいにくの雨[雨]

王子浜で行われた禊ぎも雨の中[雨]

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夜の本番に備えて、雨でも大丈夫なように完全防備

カッパはもちろん、ブルーシートにビニール袋、カイロや予備の衣類まで購入する。

カメラはビニール袋で覆いビニールテープで留める。

レンズとファインダー以外は水一滴も入れないぜっ!ってくらいしないとびしょびしょになる。

今回はビデオカメラセットしたので、ビデオカメラも同様に完全防備。

 

雨が幸いしてか、場所は若干座りにくいものの、ベストアングルに近い場所が取れた!

隣に陣取った方は、和歌山出身ではあるが、なんと神奈川県から来たという。

その方と話を交えながら、ずいぶんと待った。

日が暮れ、寒くなってきた。

雨脚は相変わらず小雨続き。

 

やっと、上り子達が上ってきた!

そして待望の松明が・・・っとここで雨脚が強くなってきて、

松明の火が中々つかないようだ[ふらふら]

いらつく声が聞こえてくる。

そして、なんと言うことでしょう、しびれを切らした上り子達が、

松明に火がついていないのに走り出したではありませんか!!

 

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↑しびれを切らした上り子達の行列

 

仕方が無いので、火の無い白い「下り龍」を撮る・・・

せっかく仕事休んでさ、苦労して準備してさ、体の芯まで冷える中待ってたのにさ・・・

おじさんは悔しいですっ・・・

 

・・・って悔しがっていたら、根気よく火をつけようとしていた上り子グループの火がようやくつきだし、

後半はちゃんと真っ赤な「下り龍」を撮ることができました。

 

終わってみれば、白い龍と赤い龍、両方撮れてめでたしめでたしです。

 

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和歌山県新宮市 神倉神社

 

 


川湯温泉2 [東牟婁]

田辺市(旧東牟婁郡本宮町)川湯温泉

の続きです。

 

よくよく考えると、この「川湯温泉十二薬師如来」って、ちょっと変わってます。

まずこの浄妙堂、どう見ても神社の本殿です。ちょっと変形の流造です。

でも千木や堅魚木がなく、鬼瓦っぽいのがついてます。

つまり、神仏習合の名残が残っているんですね。

お堂の中を拝見できないので分からないですが、十二薬師の「十二」が、とっても気になります。

薬師如来と12という数字は元々関係深いようですが、

もしかしたら、位置的にも非常に近い、熊野三山(十二所大権現)のうち、

本地仏が薬師如来である、熊野速玉大社との関わりがあるかもしれません。

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浄妙堂再掲 この中に十二薬師如来が?

 

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お不動さん?


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お大師さん

 

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「がわ」だけで中身がありませんが、

「鎮納金剛般若経宝塔」と読めます。

 

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川湯温泉 [東牟婁]

今年は、新宮の御燈祭に行くことができたんですが、休み取れたのが直前でもあり、
その宿泊先を探すも、近場はどこもいっぱい[もうやだ~(悲しい顔)]
遠くに宿泊するんだったら、どうせなら今まで行ったことのない所にしよう!と思い、
田辺市本宮町 川湯温泉に宿泊しました。

わたくし、川湯温泉をつい最近まで誤解してまして、川原を掘らないと温泉にありつけないもんだと思っていました。
そうやって入れるのがここの最大の特徴なんですが、そんなことしなくても、普通の内湯もあります。
もちろん、内湯も源泉掛け流し[いい気分(温泉)]

僕が泊まった所では内湯のドアを開けると、川原に出ることができ、川の湯も気軽にアクセスできました。

・・・ただ、僕が行った日は大雨で川の湯は入れませんでしたけどね・・・[もうやだ~(悲しい顔)]

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豪雨の川湯温泉・・・

 

ちなみに、川湯温泉が発見されたのは鎌倉時代だそうです。
昔は河温泉と呼ばれていたそうです。
川湯温泉ってまんまなネーミングやなあって思ってましたが、
昔はもっとまんまですね
[いい気分(温泉)] わかりやすくて良いです。

 

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川湯温泉浄妙堂(と見せかけてこのお堂はお地蔵様がまつられています。浄妙堂はこの奥)

 

川湯温泉十二薬師如来について(以下、看板の内容を一部引用します)

正式な名称は「浄妙堂 薬師浄瑠璃光如来(たぶん[あせあせ(飛び散る汗)])」で、川湯温泉の守護神であり、神経痛・内臓病等の平癒を祈願し、薬師の温泉とあわせて古くから多くの人々の信仰を集めている。

浄妙堂は、江戸時代に対岸からこの地(温泉街の中間地点にある吊り橋付近)に移されたと伝えられている。

例祭は112日に行われる。「揚げ物」と呼ばれる色とりどりの張り子が吊され、例祭当日は神事に始まり、もち投げをする。

「揚げ物」は川湯それぞれの家庭で2~3週間かけて竹と木等で作られる。山間を吹く風に揺られて、地元の願いを引き受け、また観光客の目を楽しませてくれる。

例祭の由来は、如来様が山に里帰りする道案内に、地元の人たちがしめ縄を川に渡し、それに野菜(ダイコン等)をぶらさげたのが始まりだと伝わっている。

浄妙堂には額がかけられている。金龍障禅山という人が宝永元年(1704)に病気平癒を感謝し、浴友である竹田角右衛門という人に依頼し、奉納されたものである。

浄妙堂は享和元年(1801)に再建され、本宮大工嘉八繁浅の作とされている。

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奥に鎮座する浄妙堂 薬師如来

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ちょうど「揚げ物」が吊られていました。


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